
昨年3月まで36年半の永きにわたって、毎週日曜日の朝、世の中の動きをお茶の間に伝え続けてきた関口宏さん(82)。戦後80年を迎えるいま、戦争、そして戦争の記憶を伝えるテレビの役割などについてどう思うか、インタビューの中で語った。
【写真を見る】関口宏さん「戦争の記憶を伝えるには感性に訴える部分が必要」~戦後80年で戦争を語る~【調査情報デジタル】
戦争の原体験…家族の死と戦後の焼け跡
編集部 関口さんは終戦時に満2歳で、戦争そのもののご記憶はないのかもしれませんけども…。
関口 ないですよ。
編集部 その戦争に対して、関口さんはそもそも実感としてはどういうイメージをお持ちですか。
関口 もの心ついた時が、もう焼け跡の中で遊んでる子供だったから。周りには、息子さん亡くしたり、旦那さん亡くしたりした人がたくさんいたからね。そういう人たちの話を聞かされながら、戦後の焼け跡の中で育った。で、「戦争ってなんだろうなぁ」って、もう子供の頃からなんか考えさせられたっていうかな。
家には、「アサヒグラフ」とか、そういうもんだったと思うけど、戦争特集のね、雑誌、写真集がたくさんあったから、そういうものを見ながら、「なんだろうね、戦争って言うのは…」と思ってたし、 周りの大人からね、戦争の話をずいぶん聞かされた。
編集部 関口さんの著書(「テレビ屋独白」文藝春秋刊)にも、お父さま(俳優の佐野周二)が幻のオリンピックで水着を軍服に替えざるを得なかったと。そして、のちに「馬鹿な戦をしたもんだ」が、お父さまの口癖だったとありますね。
関口 いやぁ、私はじかには あの戦争を知らないけど、いろいろと聞かされたり、自分で調べたりなんかしたら、そりゃ愚かな戦争だったと思うよ。
編集部 お父さまご自身も中国に行かれた?
関口 うん、大陸行ってる。2度。
編集部 中国での体験話などを聞いたことはありますか。
関口 いやそれはね、なかったので、前線にはいなかったみたいだから。通信隊だったんだね。だから、前線が出てった後、何かやる仕事があったみたいで、前線には行ってなかった。
編集部 先ほど焼け跡で遊んでいたとおっしゃいましたけれども、具体的には、東京のご自宅の周りも焼けてしまって…。
関口 そうそう。
編集部 戦争がまだそこら中に残っていたと?
関口 もう残ってるどころか、戦争はしてないけど、戦争がもう、町の中、全部戦争ですよ。その戦争の焼け跡ですよね。
編集部 ご家族や親戚で…。
関口 焼け出された人もいるしね。
編集部 当時はまだ幼かったわけですけど、漠然とした戦争への嫌悪感は?
関口 いや、わかんないまんまに、戦争ってなんだろうねっていうことは、 なんとなくね。 まあ、なんとなくどっかにはいつも引っかかってたね。
編集部 実はお母さまも、戦争中、医療状態が良くない中で亡くされたというお話を伺いました。
関口 そうそう、それも影響してるかもしれない。
編集部 お母さまはどんなご病気で亡くなられたのですか。
関口 チフス系の病気だったと聞いてる。だから戦時中じゃなきゃ、まあ薬もあればね、どうにかなった病気だったらしいけど。
編集部 同じころお姉さまも亡くされたそうですね。
関口 私は昭和18年の生まれで、19年に私のお袋が亡くなります。そのあとちょっとして、私のお姉さんに当たる人が亡くなってます。2つ上かな。だからまだ赤ん坊みたいなもんですよ。
編集部 それはやはり薬がなかった?
関口 わかんないんだそれは。その理由についてはね、あんまりみんなが言わなかったな。
編集部 お母さまとお姉さまを栄養状態が良くない中で亡くされたわけですが、戦争さえなければというような思いはありましたか。
関口 ただこれ複雑でね、親父がすぐ再婚するんですよ。戦時中だしね。私にはもう1人姉さんがいるんだけど、やっぱり子供も小さいから、親父も急いで後妻さんをもらうわけだ。じゃないと家の中で面倒見てもらえる人がいないということでね。
編集部 自分を産んでくれたお母さんに会えなくて寂しいっていうような思いは?
関口 それがね、またこれ複雑なんですよ。私はそれをほとんど知らないまま育つんですよ。後妻さんを自分の母親と思って育つ。姉さんは知ってるわけ。
編集部 いつ頃にわかった?
関口 小学校入ってからだよ。もう小学校4年生か5年生ぐらいのときに、ある友達から「お前のお母さん死んでるよな」って言われて、「えっ」ていう感じで、うちへすっ飛んで帰って、姉さんに聞いて知るんですよ。
編集部 どう思われました?
関口 わかんない、もう。どうしていいのか。悲しいって感情も、もう無いですよ。時間経っちゃってるしね。だから不思議な育ち方をしてるっていうか。
編集部 ご家族やご親戚の中で直接戦争で亡くなられた方もいらっしゃるのですか。
関口 うん、まあ、いっぱいいて。親父が、やっぱり昔の家だから兄弟多いんだよ。10何人いるんだよ、兄弟が。私からすれば、おじさん、おばさん、10何人いるけど、そん中の 5~6人は、戦争でご主人とか亡くしてるよ。
編集部 そんなに…。
関口 うん。だから、そういう人から話聞くから。だから、戦争ものの写真集なんか、ボケっと私が見てると、「なんでこんなもん見てんの」って言うんで、なんかいろんな話をしてもらった記憶はある。
編集部 関口さんは「戦争嫌い」を公言していらっしゃいますけれども、そういう原体験の影響が大きいのでしょうか。
関口 幼い時にね、やっぱりいろんな話を聞かされたし、それからその戦争の焼け跡の記憶っていうのは、強いからね。
“ノンポリ”の大学で憲法に触れる
編集部 さて、関口さんは立教大学の学生時代に芸能界デビューを果たされました。当時は60年安保闘争の後ぐらいで、学生運動も活発だったと思いますけども、関口青年はどんな大学生活を送られたのですか?
関口 大学はね、だから60年安保っていうと、私たちのちょっと上の人たちなんだよ。私たちが社会に出てから、今度は 70年安保だよ。だから、ちょうど端境期っていうのか、中途半端な世代ということと、学校自体がノンポリの学校だから。
だからあの頃、学校に立て看板とかね、早稲田・法政・明治みなあったじゃない。「立教はないな。格好悪いんじゃねぇ」なんて言ってたぐらいだから。学校の中でそういう空気がなかった。
編集部 では戦争反対のデモの先頭に立ったとか、そういうことは?
関口 ないない、それは。
編集部 ただ、過去のインタビュー記事で読みましたが、「日本国憲法の前文を読んで、すごくいい憲法だなと思った」と。それはやはり、法学部に入られて勉強したため?
関口 まあ、法学部入ったからしょうがない。憲法とらなきゃならない。前文は読まされる。すると、「たいしたもんだな。いいこと書いてあんじゃないか」と思ったっていうことだよね。
編集部 今でもやっぱり、いい憲法だと思いますか。
関口 あ、それは思ってますよ。やっぱりあれがあって80年、戦争しないで来れた。ある番組で調べたことがあるけれど、この 80年間、戦争に携わらなかった国っていうのは、もうほんのわずか。200か国ぐらいあるわけでしょ、今の世界。その中で 80年間戦争に関わらなかった国っていうのは、10ないよ。その中の 1つが日本だからね。
淡々と伝え続けた「サンデーモーニング」
編集部 そして関口さんは、俳優活動に続いて、テレビの司会者として引っ張りだこになりました。それの中でもやはり、関口さんの代名詞的な番組、「サンデーモーニング」が TBSで1987年にスタートしますけれども、どういったことがきっかけでこの番組は始まったのでしょうか。
関口 きっかけは、ある TBSの私の先輩にあたる人だけどね、「なんか日曜日の朝、ちょっと時間枠が取れそうなんだけど、なんかやりたいことないか」って言われて、「日曜日の朝なら、じゃあ 1週間を振り返る番組やったらどうですか」というのが、実現したというだけのことだよ。スタートは。
編集部 「サンデーモーニング」は、時の政権にやり玉にあげられるようなことがありました。
関口 ああ、放送法の問題かい?
編集部 いろいろ大変な時期だったと思いますけれども、関口さんはどんな思いで番組を出されていたのでしょうか。
関口 その放送法のことでもって、 時の政権なり、その近辺の人が動いている話は噂では聞いてますよ。だけど、じかに私のとこに何か言いに来た人はいなかった。だから、「じゃあ続けてよう」と。「いつもどおり続けて」と私は。
何かそこに、「あ、うち偏っているかな」とか、何とかってものがあればね、考えたかもしれないけど、そんな気はないからね。うちは、淡々と伝えるべきことを伝えているだけだから。
編集部 それから、コメンテーターだった毎日新聞の岸井成格さんが病で倒れ入院され、そのお見舞いに行ったときに、岸井さんは「たるんじゃったな、みんな」と仰ったそうですね。
関口 おお、言った、言った。
編集部 岸井さんはどういう思いだったのでしょう?そして関口さんはそれをどう受け止められたのでしょうか。
関口 うん。メディアがね、少しヤワになってきたというのか、それを岸井くんは指摘したんだろうと思うけど、全くその通りだなと思ったし、少なくとも、自分の番組は淡々と伝え続けようと思ったね。
戦争の記憶を伝えるには「知識」に加え「感性」が必要
編集部 さて、「サンデーモーニング」でもたびたび戦争についても伝えられてきましたし、毎年8月、戦争に関する特番を司会者として何度も出されています。今、振り返って、戦争関連のニュースで心に残ること、あるいはエピソードはありますか。
関口 それはもうね言い出したらキリがないぐらい。やっぱりテレビの 1つの使命としてね、戦争というものを伝えていくべきだというのが私の考えだし、また、そうあるべきだよね、メディアっていうものは。
だから、いろんな証言者の話聞いたしね。それから広島・長崎ももちろん行って、沖縄も行ってるしね。だから、これがちょうど今年が戦後 80年でしょう。だから、戦争を語るというか、戦争体験者がもうほとんどいなくなってきたこの時代、これからどうやって戦争をテレビっていうものが伝えていくべきかというのは、非常に難しいところへ来たなぁという感じがしている。
私は、いろんな戦争特集の番組でやらせてもらったけど、本当に、体験者から聞く話っていうのはインパクト強いよね。体験なさったわけだから。で、そういうことがこれからはだんだん少なくなるとするなら、戦争というものをメディアがどう伝えてっていいのか、どんどん難しくなるんじゃないかなって心配してる。
編集部 確かに時間が経てば経つほど、皆さん亡くなられていくわけですからね。
関口 私はね、戦争を伝えるっていうことは、どっか知識、と感性っていうのかな、が伝わらないと、何か中途半端なものになってしまうっていうのかな、知識だけでもね、戦争って分かったことにならないと思う。
やっぱり、そこに感性、「ああ、そんな惨いことをしたんだ」とか、「それは人間としてやっちゃいけないよな」っていう、なんかそういう感性に訴える部分が僕は必要だと思うんでね。それが戦争体験者の話を聞いていると両方あるわけですよ。知識も教えてもらえるし、それからなんか感性に訴えられるものもあるわけだよ。
だけど、その伝え手がいなくなると、その感性を訴えるっていうか、感性を伝えるところが非常に手薄になっちゃうっていうか。知識はね、本を読めばいくらでも、いろんなことは書いてあるから、どうにかなるんだけど。そこを心配してるんですよ。
編集部 歴史の教訓を忘れると、また同じ失敗を繰り返しかねない。
関口 はい。今でもジャーナリスティックな人たちとの付き合いはあるんだけど、そういう人たちと 一杯飲んでても、やっぱり「また世の中がちょっとおかしくなってるぞ」っていう話はする。私も「なんか大丈夫かな」っていう心配をしている。
編集部 戦後80年になりますが、世界ではウクライナやガザとかとか、もう非常に心が痛む映像がどんどん入ってきていますけれども、関口さんは今の世界をご覧になって、どんなことを思われますか。
関口 決していい方向に世界は進んでないような気がしてますよ。何かバラバラというか。それからやっぱり自分の利益が一番っていうね、考え方が強くなってきてるような気がして。それは揉め事の元だよね。やっぱり何か譲り合うとか、相手の気持ちがわかるとか、そういうものがあって、平和なり調和なりがあるんだろうと思うけど、自分たちが一番でなきゃいかんという考え方は、それは危ないなと思ってる。
テレビの戦争報道への注文…基本は淡々と事実を伝える、ただ戦争には反対
編集部 関口さんは長年テレビの第一線にいらっしゃって、戦争や平和に関する報道、ニュースに期待したいことや、注文したいこと、“喝!”を入れたいことはありますか。
関口 基本はやっぱり伝え続けるってことだからね。それも決して偏らずに、淡々と事実を伝え続けるってことが大事なんで。なんか、メディアが良きにつけ悪しきにつけ、何か意見を先導して、何て言うんだろうな、動きを作るっていうのは僕はそれをあまりやっちゃいけないことだと思っててね。
いろんなことをおっしゃる方にいろんな意見を聞くのは構わないけれど、番組ってものは何か、視聴者に何か植えつけるような、何かそういう動きはあってはならないと思っててね。
ただ、戦争ってことに関しては、やっぱりこれは反対していかなきゃいけないよね。戦争というものはやっぱり2度と繰り返してはいけないと思ってるから。
編集部 ただ、淡々と事実を伝えるべきメディアが、特にインターネットの世界ですが、刺激的で過激的なものどんどん出して、注目を集めて、そしていろんな人がそれを見るとお金が入ってくるような仕組みが…。
関口 これ危ない。うん。それは私もね、詳しくはよくわかってないんだその世界。だけどそういう話を聞くと、それは危ないねと思う。やっぱりそのお金のために刺激的なものを出すよね。それでもって洗脳していくよね、人をね、これは危ない。それはね、早く、なんていうのかな、規制をかけた方がいいね。
若い世代へ…事実を見て、そして感じてください
編集部 戦後80年の半分近くの36年、「サンデーモーニング」を出し続けられてきた関口さんから、若い世代に向けて、戦争と平和についてメッセージを若い世代に伝えるとしたら、どういうことを仰りたいですか。
関口 事実を見てください。で、感じてくださいだね。誰かの意見に影響されるとかそういうことではなくて、あなた自身が事実を見て、事実から感じてくださいだよね。
そのためには、いろんなものを見てもらった方がいい。長崎、広島ね。行って欲しいしね。いろんな方がいろんなことを語ってる本もあるしね。そういうものを見ていただいて、自分自身で考えていただくってことが大事だね。
編集部 今の若い人たちはスマホを見て世の中がわかったつもりになっているように感じます。
関口 かもしれないよね。難しいよね。ある意味、やっぱり活字離れっていうのは心配してる。なるべく手っ取り早くわかりたいっていうこの感覚も、実は危ないですよって若い人たちには言いたいね。
手っ取り早さってのは、あるときには必要だけれど、手っ取り早く得た情報が、ときには間違ってるかもしれないからね。
編集部 最後になりますが、最近は戦争経験がない若い政治家たちが出てきて、極端な話、原爆も安上がりだというような、どんどんきな臭い方向に話がいきますけれども、そういう世の中の状況をどう思われますか。
関口 駄目です。それは。戦争は絶対起こしてはいけない。うん。
今のまんま行くとね、世界的に見れば、どっかでひょっとすると、核兵器を使っちゃう国が出てきちゃうかもしれないよね。「だから日本もそれに備えて」って、それはとんでもない話ですよ。絶対やっちゃいけない。
〈関口 宏(せきぐち・ひろし)さんの略歴〉
1943年 東京都生まれ
1963年 俳優として芸能界デビュー
1966年 立教大学法学部を卒業、71年からフジテレビ「スター千一夜」の司会を務める傍ら、映画やドラマに多数出演。その後TBSの「クイズ100人に聞きました」「わくわく動物ランド」「関口宏の東京フレンドパーク」など、テレビでの司会業を中心に活躍。
なかでも1987年にスタートした「サンデーモーニング」(当初は「関口宏のサンデーモーニング」)では36年半にわたりMCを務め、その功績から2024年4月、ギャラクシー賞の志賀信夫賞を受賞した。
現在は、BS-TBSの「関口宏のこの先どうなる」「関口宏の一番新しい近現代史」、BS朝日の「関口宏の雑誌の記憶」でMCを務める。
【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版のWebマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。
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