
100年以上“不治の病”とされてきた「アルツハイマー型認知症」。その治療薬が2023年、世界で初めて承認されました。若年性アルツハイマー病と診断され、新薬の治療を続ける女性を取材しました。投与から1年が経ち、症状に変化はあったのでしょうか。
【写真を見る】「今まで通りの生活を送りたい」若年性認知症の患者に密着、世界初・治療薬「レカネマブ」の効果と課題【報道特集】
若年性認知症の患者 ごま油のボトルがお茶に…生活に支障も
大阪市で一人暮らしをする関田美香さん(60)。若年性アルツハイマー型認知症を患っている。馴染みの店に弁当を買いに行こうとするが…
関田美香さん
「ごめんなさい。ちょっと待って…。どうやって行ってたかな。忘れた…」
通い慣れた道のはずだが、突発的に記憶が飛んでしまう。
住み慣れた家でも、日常生活に支障をきたすことがある。お茶を飲みたくなった時…
美香さん「きのうのかな?え~わからない、どうしよう」
記者「お茶ですか?それごま油ですよ」
美香さん「ごま油?やばい…めちゃめちゃやばい」
美香さんの目には、茶色いごま油のボトルがお茶にしか見えなかった。文字や空間を認識しにくい「視覚障害」も、アルツハイマー型認知症の症状のひとつだ。
異変が起きたのは2019年ごろ、家族や友人から「今言ったことをすぐ忘れている」と指摘されることが増えた。病名を告げられた時、56歳だった。
美香さん
「もう愕然茫然ですよね。なにもちょっと考えられない。は?え?私がですか…みたいな。にわかに信じられなかったです、しばらく」
美香さんはかつて女優として活躍していた。
テレビドラマにも度々出演してきた。幼女から老婆まで、演技の幅の広さに定評がある女優だった。
美香さん
「やっぱり芝居は楽しいですよね。やりたいなってほんとに思いますね、今でもね。覚えられるものなら」
仕事も辞めた。周りから施設への入所を勧められる時もある。でも、美香さんは人の手を借りることをかたくなに拒む。
自宅に散らばる無数のメモ書きからは、なんとか一人で生きようとする彼女の努力が垣間見える。
「今まで通りの生活を送りたい」 世界初・認知症の治療薬に一縷の望み
20キロ離れた奈良県の実家には、89歳になる母親・関田幸子さんが暮らしている。
娘の発病にショックを受けたが、一縷の望みをかけたのが新薬の「レカネマブ」だった。
美香さんの母 関田幸子さん
「いい薬ができたんだなって嬉しかったですよ。レカネマブ開発秘話とかね。書いてあるのは全部読みましたけどね。(発症が)まだ50代でというのはちょっと、あまりにも酷すぎるので、早すぎるので。本人もまだまだやりたいことがあるだろうと思って」
2023年、世界で初めて承認されたアルツハイマー型認知症の治療薬「レカネマブ」。日本とアメリカの製薬会社の共同開発で「レケンビ」という商品名で販売されている。日本ではこれまで8000人あまりの患者に投与されてきた。
アルツハイマー病は、脳の中にアミロイドベータとよばれるタンパク質が蓄積することで神経細胞が破壊され、脳機能が低下する病気だ。「レカネマブ」はこのアミロイドベータを除去する。
一度壊れた神経細胞を再生させることはできないが、アミロイドベータの蓄積で弱った神経細胞へのダメージを一時的に食い止め、認知症の進行を遅らせることができるという。
大阪公立大学医学部附属病院 武田景敏 医師
「完全に止めることができなくても、大きくゆっくりすることができて、より早期に気づいて治療することで自分らしく生きる期間を延ばすことができるというのが、やっぱり大きな意味なのかなと」
美香さんは、母・幸子さんの提案で「レカネマブ」の投与を受けることになった。
投与を始めたのは2024年1月。「今まで通りの生活を送りたい」と願う美香さんにとって、レカネマブの存在が唯一の希望。認知症の進行を遅らせたい一心なのだ。
美香さん
「お薬と先生に頼って祈るだけ」
2週に1回通院し、美香さんの場合、治療にかかる負担は年間約70万円。決して安くはないが、「今の状態がたとえ数十日でも保てるなら」と、治療費は母と兄が負担している。
治療薬の適用外でも「認知症は支えていける病気」
レカネマブはアルツハイマー病治療に光明をもたらした。2024年に開かれた認知症学会でも大きな注目を集めた。
日本認知症学会 川勝忍 会長
「私たちアルツハイマー病を診察している者にとって、非常に画期的な治療がようやく始まって1年に」
一方で、薬の課題を問う声もある。
認知症の患者(軽度認知障害含む)は推定1000万人以上。このうちレカネマブを処方できるのは、軽度認知障害または初期の認知症の患者に限定され、その数は約540万人(推定)。
副作用で脳出血が起きる恐れがあるため、患者は治療前にMRI検査などを受けなければならない。
脳に5個以上または1センチを超える出血が見つかった場合、対象から外される。レカネマブが投与されたのは、対象患者のうちわずか0.1%と極めて少ないのだ。
2024年12月、大阪市内で行われたのは認知症を診察する医師などを集めたセミナー。新薬がもたらす効果についての説明が続く中で、ひと際異彩を放つ講義があった。
松本一生 医師
「この薬が使えなかったらそれでもうダメかというと実はそうではないということを、この講義では特に強調しておきたい。それ以上に心理面のサポートをすることで、状態の安定・維持がはかれるとしたら、それには価値があると」
松本一生医師は、「レカネマブ」に期待が膨らむばかりの社会の風潮に、懐疑的な視点を持っている。
松本医師が院長を務める「ものわすれ外来」には、日々多くの患者がやってくる。
大阪府内に住むアルツハイマー型認知症の60代の男性。妻と一緒に通っている。薬代が高いなどの理由で、レカネマブによる治療は受けない選択をした。
いまは、松本医師のすすめで、脳内の新陳代謝を活発にして症状を緩和する貼り薬などを使っている。従来の「対症療法」だ。
男性の妻「進行はかなり物忘れは酷いんですけど、何より穏やかになったことと、前向きになってきました」
記者「穏やかになれた理由は?」
妻「完全にお薬を変えていただいて、その時点から変わりました」
男性「それと夫婦愛ですよ」
松本一生医師
「夫婦間の精神的な力動ってあるんです、心の在り方。それが安定することの方が、僕は貼っただけの効果よりは、むしろそこが動いたんじゃないかなというふうに、そんな風に思います。
『あなたは(レカネマブの)適用外だからもう諦めなさい』というような…社会的な風潮にはしたくなかった。
医者側の説明も『あの薬が使えないならもう自由にしたらいいです』って、一部の医療機関ではそういう意見を聞くみたいなことが耳に入ってくるんですが、そうではない。今までのやり方をしたとしても、認知症という病気は支えていける病気だと僕は考えていますから」
「そこまで壊れてるの?」認知症患者 一人暮らしの現実
若年性認知症でレカネマブによる治療を続けている関田美香さん。2024年夏ごろからヘルパー・坂本智子さんの支援を受けるようになった。
一人暮らしを心配した母の依頼だった。坂本さんは美香さんの“目”となって買い物にも同行している。
坂本さん「あ、これや。オレンジ色の?」
美香さん「これです、これです」
坂本さんは週に3回、1日2時間半、身の回りのサポートをする。散らかっていても気にならない美香さんに声をかけ、さっそく整理整頓を始めた。同世代の2人、気は合うようだ。
坂本さん「もう一回被って、あははは」
美香さん「こうやらないと見えないかも」
20年以上自立した生活を送ってきた自負もあり、ヘルパーに頼ることを渋っていた美香さんだったが、「快適な部屋で一人暮らしを続けよう」という坂本さんの提案を受け入れた。
ところが、真冬にさしかかろうかというある日、美香さんの様子がいつもと違っていた。
記者「どうしたんですか?」
美香さん「いつも履いてるスケッチャーズの靴が…いつも履いてるのになんでないのか」
履きなれた黒い靴が見つからない。不審に思った美香さんはこう切り出した。
美香さん「誰かの手で持っていかれた…悪いけど、そういうことしか考えられなくなりますね。ここまでくると」
記者「ベランダ見ますか」
美香さん「靴?誰か入ってきてるかなあ…。そういう感じがするんですけど」
記者「美香さん、靴ありますよ」
美香さん「え?どこ?」
記者「ベッドの下ではないですか?」
美香さん「ベッドの下?これ?まじで。(履いてみて)これです。ええ、そこまで壊れてる?」
靴以外にも物を盗まれたという疑いは、ヘルパーの坂本さんに度々向けられた。
坂本さん
「え、わたし疑ってる?みたいな。今まで築き上げてきた信頼関係はなんなの、みたいなのはありますけど、この方たちにはこれは通じない。それを責めてもしょうがないことだし、そこはうまく『違うよ』と、わかってもらうことも難しいことだから、流していかないとね」
――レカネマブ治療についてはどう思う?
「もちろん自分で生活している時間が長くとれるというのもあるけれど、その裏には苦しむ時間も長いやろうなって思ってしまうところがありますね。自分で自分がちょっとずつ壊れていくのを自分で確認できる時間があるじゃないですか。それが美香ちゃんにとっては辛いことやろうなって」
「物が盗まれた、なくなった」という思い込みは、認知症患者に出る症状のひとつ。特に身近な人を疑うという。
武田医師
「“物盗られ妄想”というものになるんです。ものをよくなくしてしまうんです。例えば自分が、ある時に場所を変えたこと自体を覚えていないんです。そうすると、どんどん物がなくなるという、奇妙な現象が起きると、やっぱり理由がないと不安になりますよね、そうすると『誰かが盗った』と考えてしまうのは仕方がないことなんです」
レカネマブは病気の進行を完全に食い止めることはできない。
少しずつ自分の身体に起きる異変に不安を感じながら、2週に1回の投与を続けてきた。「自立した生活を続けたい」という美香さんの願いを家族は受け入れてきた。
美香さんの母 幸子さん
「心配ですよ。もう毎日心配ですよ」
――一人で生きたいと拘るのはなぜだと思う?
「全然わからないけど、一人がいいっていうのはわかります。私だってそうですもん。一人でいますからね、一人っていうのは楽なんだなというのはわかるんでね」
投与期間は原則1年半でも…“その人らしく生活したい”と願う患者や家族の希望に
2025年1月、レカネマブの投与から1年が経ち、認知症の進行を調べる検査が行われた。
――今年は何年でしょう?
美香さん「令和7年」
――100から7ひくと?
美香さん「93」
――そこから7ひくと?
美香さん「86」
記憶についての質問のあとは、視覚や空間認識を調べる。紙に書かれた図形をそのまま書き写していく。
美香さん
「これが厳しいんだなあ。どうしてもこれは…いつも厳しいなあ」
検査の結果次第では「レカネマブ」の投与は中止になるかもしれない。検査から4日後、結果を聞きに母・幸子さんと病院に向かった。
武田医師
「物忘れの検査もしましたが、そんなに変わってはないです。ただ、関田さんの視覚の問題。視覚の検査に関しては記憶の面でも少し悪い面があるので、そういったところのテストの結果は少し悪かったようですが、全体として概ね変化はないかなと思います」
――薬を点滴していなかったら病気は進行していた?
「確実にすすんでくると思いますし、関田さんのご年齢ぐらいの比較的若い患者さんは進行が早いと言われていますので、そういったことを考えると、進行していないということ自体は非常にいいことだと思っています」
美香さん
「やっぱりこのまま私がもっと頑張って、ぐっと食い止められるように一緒に、体ともども精神的にも頑張っていきたいなと思います」
母・幸子さん
「治らない病気だということが頭にありますので、とにかくあと1年で90歳ですけど、この子を支えていけたらいいなという感じはあります」
レカネマブの投与期間は原則1年半。美香さんは視覚の認識に問題はあったが、副作用もなく6月末までの投与が決まった。
幸子さん「よかったよかった。悪くなってなかったらオッケーよ」
美香さん「根性で頑張らないと」
幸子さん「頑張ろう」
「レカネマブ」は治す薬ではなく進行を遅らせる薬で、意味がないという人もいる。しかし、わずかな期間でもその人らしく生活したい、と願う患者や家族には希望だ。
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