
東京2025世界陸上大会最終日(9月21日)の男子4×100mリレー決勝で、日本チームは38秒35で6位。メダルに届かなかった。金メダルの米国とは1秒06差(11~12m差)、銅メダルのオランダとも0.54秒差(約6m差)をつけられてしまった。
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1走から小池祐貴(30、住友電工)、栁田大輝(22、東洋大4年)、桐生祥秀(29、日本生命)、鵜澤飛羽(22、JAL)のメンバーで、100m毎のスプリットタイムと各選手のコメントから、リレー侍たちの戦いを分析する。
3走終了時に1位のパリ五輪と、最下位の東京世界陸上
昨年のパリ五輪は37秒78で5位。東京世界陸上の4人の走りを、パリ五輪の4人の走りと比較することで見えてくるものがあった。近年の世界大会4×100mリレーは、各選手のタイムが公表されている。1走は他の区間と違って助走がつかないことと、カーブを走るため所要時間が一番長く、100mの自己記録プラス0.3~0.5秒になることが多い。
2走以降は助走付きの100mとなるので、100mの自己記録より速いタイムになる。直線の2走と4走はマイナス1秒前後、カーブの3走はマイナス0.7~0.8秒程度となる。
4×100mリレーのスプリットタイムも、100mと同様風向きと風速の影響を受ける。タイムも比較材料にはなるが、同じ走順の中での順位と、優勝チーム選手とのタイム差を中心に各選手の走りを検証したい。
■パリ五輪のスプリットタイム・順位(上段)と通過タイム・順位(下段)
★5位・日本
10秒41(4)・ 8秒88(1)・ 9秒16(2)・ 9秒33(8)
10秒41(4)・19秒29(1)・28秒45(1)・37秒78(5)
★1位・カナダ
10秒43(6) ・ 8秒98(3)・ 9秒20(3)・ 8秒89(4)
10秒43(6) ・19秒41(4)・28秒61(3)・37秒50(1)
■東京世界陸上のスプリットタイム・順位(上段)と通過タイム・順位(下段)
★6位・日本
10秒55(4)・ 9秒14(6)・ 9秒71(8)・ 8秒95(4)
10秒55(4)・19秒69(6)・29秒40(8)・38秒35(6)
★1位・アメリカ
10秒30(1) ・ 8秒84(3)・ 9秒31(1)・ 8秒84(2)
10秒30(1) ・19秒14(1)・28秒45(1)・37秒29(1)
パリ五輪は1走から坂井隆一郎(27、大阪ガス)、サニブラウン・アブデル・ハキーム(26、東レ)、桐生、上山紘輝(26、住友電工)のメンバーだった。
2走のサニブラウンが2走1位のタイムで、200m通過時点で日本はトップに立った。3走の桐生も3走2位のタイムで300m地点でもトップ。しかし4走で大きく順位を落とした。バトンパスも小さなミスはあったかもしれないが、4番手選手の走力の違いが順位に現れた。
東京世界陸上は対照的な展開だった。2走の栁田が2走6位で日本は6位まで順位を落とし、3走の桐生がまさかの8位。パリ五輪では1位だった300m地点で、日本は8位に後退していた。唯一好走したのが4走の鵜澤で、判明している範囲ではサニブラウンに次いで2人目の8秒台で走り、2人を抜いて6位に上がった。「予選よりもトップスピードに乗れていましたし、タイムも上がっていたと思いますが、地力の差というか、シンプルに足の速さが必要だと感じました」
エースのサニブラウンの状態が上がらず、起用できなかったことが痛かった。2走に
入った栁田は将来のエースと言われている選手だが、残念ながら期待を下回った。3走で必ず上位を走り続けてきた桐生の8位は、にわかには信じられなかった。
4選手コメントから見えるレース内容とチームの雰囲気
1走の小池はスタートして3、4歩目で動きが崩れた。「脚が固くなってしまったのか、いつものところまで脚が上がって来なかった。あそこでつまずくのは、それくらいしか考えられません」。それでも4位と、傷口は最小限にとどめた。つまずきがなければ1走の2位争いに加わったかもしれない。予選後のインタビューでは「仲良くやりましょう」と、チームの雰囲気を盛り上げるコメントもしていた。4年前の東京五輪までは、小池にそういったコメントはなかったのではないか。
2走の栁田は「気づいたら終わっていました」と話した。「それだけ集中していたと
思いますが、走りが良かったかどうかは別問題です。予選を(3位以内で)着順通過する目標は達成できましたが、決勝でもう一段階、二段階上げて走らないといけないのに、予選と同じような走りしかできませんでした」レース直後でスプリットタイムを冷静に分析する前だったが、自分の走りが良くなかったことは感じていたようだ。
3走の桐生は「走り出した瞬間に右脚のふくらはぎが攣ってしまいました」と明かし
た。序盤の走りではわからなかったが、その影響は後半に大きく出て、他の7チームに離されてしまった。日本の3走といえば桐生、とまで言われ、何度もメダル獲得に貢献してきた。今季は日本選手権を制し、8年ぶりに9秒台(9秒99)もマークした。若い選手たちとも積極的にコミュニケーションをとり、チームをまとめてきた。その功績は大きい。
4走の鵜澤も「桐生さんは(16年)リオ五輪とかでメダルを取ったところを、自分たちはテレビで見た世代です。絶対に持って来てくれる安心感がありますし、心の支えになっていた」とレース後に話している。桐生で失敗したのなら仕方がない。日本チームはもちろん、ファンたちもそう思っているのではないか。
2年続けてリレーで苦い思いをした栁田
レース後の4選手は呆然とした表情で、すぐには6位という結果を受け容れられないようだった。だがスタンドから拍手を浴びると、一礼して、手を振ったりし始めた。バトンが渡らなかった東京五輪とは違い、選手たちの表情は強張っていなかった。地元大観衆の熱狂的な声援が選手たちの気持ちを、外国で行われた世界陸上とは違ったものにしていた。
鵜澤は200mを2本、4×100mリレーを2本走った。「4日のうち1日たりとも、歓声が小さかった日はなかったですし、こういう国際大会が日本で行われない限り感じられない最高の雰囲気でした」栁田だけが、東京五輪の選手たちと同じような表情でホームストレートを歩いていた。2走は200mのスタート地点でバトンを渡すため、フィニッシュ地点に戻るのに一番長く歩く。どの国の選手よりもゆっくりと、1人ぽつんと歩いていた。
栁田は昨年のパリ五輪100m代表を、1000分の5秒差で逃した。リレーメンバーで代表入りしたが、パリ五輪予選を走った後にメンバーから外れ、決勝を走ることができなかった。今年は5月のゴールデングランプリ、アジア選手権と2連勝し、7月の日本選手権は優勝候補筆頭だった。だが予選でフライング失格し、その後の大会で10秒00の参加標準記録に到達したが、選考規定で100mの代表入りを逃した。
リレーの快走でこの2シーズンの無念を晴らすつもりだったが、自身に期待した結果は得られなかった。ホームストレートを歩いている間、どんな思いが去来したのだろうか。その栁田も、フィニッシュ地点が近づくと表情に生気が戻った。知り合いの顔が見えたのか、スタンドに手を挙げた。2年続けてリレーで苦い思いをしたが、地元開催の世界陸上だから前を向くことができた。栁田が将来リレーでメダルを取り、そう振り返る日が来ることを信じたい。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
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